「努力」を褒めるべきか?
今日、共創メソッドの開発や志を同じくするみんつく工房というコミュニティの学生メンバーと飲みにいったとき、印象的だった話をわすれないうちに書き留めていこうと思う。
けっこう例外なくみなにいい意味でも悪い意味でも心当たりのある話だと思う。
印象的だったのは簡潔にいうと
「がんばることへの違和感。」
という感覚の話題がでたこと。
つまり「結果とプロセスの関係」についてだ。僕は今日はなして結論として
「プロセスへの評価は、結果を真剣に追い求めた人だけへのささやかなご褒美」
だと改めて思い、それ以外のプロセス=努力の評価に疑問を感じる。
なぜこの結論がでたかというのことだが、以下を見てほしい。
・努力することが目的になっている
・「がんばっている」と言って、頑張る自分が好きなだけ
・できない言い訳としての「頑張った」
・不安だからなにかを頑張る(頑張ったふりをする)
これらに身の覚えがないだろうか?おそらく文面を読んだときは「どれもだめじゃん」と思うと思う。でも実はけっこうな人が心の奥底を振り返ると、刺さる部分があったりする。
顕著なのは英語だろうか。僕の実感値としては今の大学生を強引に割り振ると
5割は英語が大事だと言って勉強すると言うががなにもしない
3割は英語が大事だと言って勉強すると言うが続かず身にならない
1割が英語が大事だと言って勉強すると言ってマスターしていく
1割はそもそも英語にそこまで興味がない。
でいうと8割の人は過去になんとなく「がんばる!」と思ったことがあり、その状態に満足して結局マスターしてない苦い経験があるはずだ。
そのほかでも、フランス語であったり、プログラミングであったり、ビジネスであったり、スポーツであったり、
事象は変われど「がんばる!」ときめて一瞬「頑張った」ことがあるのではないかと思う。
そんな「頑張る」に意味なくない?ということ。
でもついその「頑張る」を評価したくなってしまうのが僕らの弱いとこなんだなと思った。
これは、他人を否定して満足したいのではなく、自分の戒めもだいぶ入っている。
スポーツに置き換えるとなぜか「頑張る!」の違和感が分かりやすくなる。
スポーツは多くの競技が勝ち負けが決まる。
だから面白い。結果が全てだ。
そして必ず負ける、つまり望んだ結果を得られない人がでる。
競技としてスポーツをやる人に限って言えば
スポーツには明確な勝ち負けという判断基準がありわかりやすい。
それにくらべ仕事や私生活は、勝ち負けがない。スポーツほど明確に。
そんな白黒はっきりするスポーツでさえ、
僕らはつい努力=頑張った=プロセスを評価しようとしてしまう。
「今まで頑張てきたのに」
「やるだけやったからしょうがない」
「運が悪かった」「〜が悪かった」
僕もバドミントンを11年やっていたのですごく
身近に感じるのだが、本当に
「自分のミスを認めることは難しい」と思う。
数字ではっきりと自分の成果が不十分だとわかっているはずなのに。
なぜこんなことを書いたかというと、今インターンをしていたり将来働くことを考える上で強く、仕事でも同じことが言えるんじゃないかと思ったからだ。
仕事はスポーツほど明確に白黒つかないことが多いと思う。あきらかに負け、つまり十分な成果がでなくてもなんとか言い訳をしたり、責任を逃れたりできてしまうしついそうしてしまう。
しかし、スポーツや今までの経験から、「がんばりきっていない自分にプロセス=努力を褒めるというご褒美をあげてもいいことはない」と言えると思う。なにか望むもの、目標があるならこの考えは妨げにしかならないと思う。
バドミントンではそうだ。
負けを認めて、
じゃあ何が悪かったんだろう、
今の自分に何がたりなかったんだろう、
次はどうすればいいんだろう、
そのために何を明日からしていけるだろう、
そういうことを考えるのに全力を注いだとき、負けを認めても決して次の結果を絶対に勝ち取ると思えてるときに最も実力、結果が伸びていくのを感じた。
もちろん、プロセスの大事さを説く人の理屈はわかる。しかし僕は、プロセスは結果論を語るときに出せばいいと思うし、そういう考えでいたいと思う。
努力の評価は、
中途半端な人がもらっていいご褒美でない。
中途半端でもらっても、たいした価値はない。
そもそも、プロセスで何かを得られる人は、結果を本気で求めた人であって、もらった人はあまり喜ばないとも思う。
最初にも言ったが、
努力は本当に結果のために頑張った人、それなのに結果が出なかった人のご褒美だと思う。そこから次に学んだり、努力が人の心を打って感動させることができて嬉しくなったりする。
自分は、スポーツでどっちも経験したことがある。
頑張らない人、努力してるけど間違った努力で結果がでないことに気づかない人をばかにしたこともある。
努力をしたといって、弱い自分をなぐさめて満足してしまったこともある。
そんな苦い経験を思い出しながら、気持ちの整理がついたように感じた。明日から活かしていきたい。