スマートフォンで勝つ人、負ける人

ネットという道具を得ることで、人間は急速に能力を拡張してきました。googleで知らないことを検索し、twitterで日常についてつぶやき、ipadでどこでもウェブのある生活を楽しむ。そんな当たり前になりつつある生活が、私たちの脳神経にいかに変化を与えているか、をつづった本。
 僕たちにとってネットはもはや空気のような存在となりつつあるが、そんな日常をスパッと切ってくれる、示唆に富む本でした。


ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること


スマホが僕らをバカにしている

スマートフォンによって、僕たちはWEBへの「場所」という大きな障壁を乗り越え、どこでも楽しめるようになった。しかしそのことで、僕らは知らず知らずのうちに、バカになっているのではとはっとさせられた。

文中にもあるように、僕らはどうしても新しいものの「メリット」「新しくできるようになること」に目を向け、なにも考えずそれをいいことだと受け止めている。

だが、道具を使うということは、同時に「何かを失うこと」に近い。


パソコンによって、文字を大量にきれいにかけるようになったが、同時に手でえんぴつを使って書くことが激減し、漢字さえろくに書けないと気づかされるときがある。
スマートフォンで、マップを見ればどこでも迷わず移動できると思いがちだが、携帯の使えない海外に言った途端、自分の方向感覚や空間把握能力が衰えていることに気づく。

日常の例でさらにいくと、日々スキャニングともいうべく、大量の情報を得ている。「マルチタスクで、数十の情報を読み取る」という立派なの力はつくかもしれないが、同時に「一つのことに集中して作業、熟考する」という作業がもはやできなくなっていることに気づく。


しかもこのWEB漬けは、たちが悪い。みなさんも「とりあえずPCをつける」「ネット見てたらいつの間にか寝る時間に」ということが増えてないだろうか?僕自身も実感がすごくあるのだが、WEBには中毒性がある。常に刺激的な「役に立ちそうな」情報があふれているため、その心地よさが病みつきになる。暇があれば、すぐtwitterを見る、mixiを見る,gmailを見る。そんなシーンが生活にみられる人は要注意。


道具に頼りすぎることは、僕らのクリエイティブな活動も奪う
道具は、おおくの場合ぼくらに新しい可能性をくれる。だが同時に、僕らは道具に規定もされることを忘れがちだ。

ネットでのコミュニケーションが進化したことで、リアルでのコミュニケーション、表情から感情を読み取ったり、言葉の抑揚や感情把握が弱まってる。

デジタルには、どうしても表現方法が画一的で、僕らの思考もそれに拘束されていることに気づかされる。ホワイトボードや、手書きのノートの方がいいアイデアが出ると感覚的にわかっている人も多いだろう。

こうして道具の進化を疑問を持たず教授し続けることは、僕らの社会的価値、能力という面でみるとさらに危機感が増してくる。

「ハイ・コンセプト」にあるように、世界的にオートメーションが進み、単純作業の価値が下がり続けるとするならば、僕らはよりクリエイティブで、新しい価値を生み出せる人である必要が出てくる。

だが、スマホやネット、僕らを拡張して「新しい力」を得たと錯覚させてくれる道具に埋もれていては、この能力はいっこうにつかないし、むしろたいかして「考えない人」になっていくとしたら。。。。


インプットはできるけど、アウトプットできない。情報編集能力がなく、新しい発想が出てこない。集中力、考察力が殺がれ、単純作業以外でバリューが出せない。


そんな人に、小さな一歩であるが、近づいているとしたら。


インターネットの与えてくれる新しいライフスタイルはとても好きだが、この本のように、リスクについての気づきを与えてくれる存在が、健全な発展には不可欠な気がする。

ちなみにこれを読んで、ネットに触れる時間を大幅に削ってみた。情報のインプットは減ったが、必要なことに集中できるし、大部分の情報はそこまでひつようでなかったのではと感じた。

もちろん新たなデバイスで、自分の新しい可能性を広げることはできるけど、それは勝ち組の賢い人。メリットみたいなものだけにおぼれ、いつの間にか自分の力をたいかさせる、そんなことにならないよう気を付ける。